樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

遺偈(ゆいげ)

私は師匠から、新年頭に当たって遺偈(ゆいげ・遺言としての詩偈)を作るよう教えられまして、それ以来、年末になると四苦八苦しながらも、年初を迎える区切りとして漢詩作りに取り組んでいます。

今年の私の遺偈は、

『布施身』

二十余年布施身

昏迷虚妄刻徒巡

魚離水辺遭枯死

軟弱願心慚愧頻

 出家して以来二十余年、この身は人から頂いた布施によって長らえている

 虚妄に迷いながら、時がいたずらに過ぎていく

 魚は水辺を離れたら枯れて死んでしまう

 (私が今いる世界を離れたら、たちまちの内に死んでしまうだろう)

 軟弱なる願心に慚愧の念、頻りである

というものです。

反省することばかりなのですが、昨年はホームページの開設という、私にとっては一大事の年でした。

何故かと言いますと、今までずっと押し黙ってきた私がインターネット上で物を言い始めたからです。

私のコンセプトは、少し下品な言い方になりますが、『吐き出して、広げて、押し出せ』です。

ぐっと飲み込んできたものをまず吐き出して、それを分かってもらえるように上手に広げて、恥を顧みずにとにかく表に出せ…ということです。

そしてもう一つ、「どこを切っても赤い血がほとばしるような文章を書きたい」という願いがあります。

年頭に遺言は書きますが、この『日々の話題』は、いつ死んでしまうか分からない自分の、日々の遺言でもあります。

我田引水ですが、我ながら今読み返してみて、涙が出そうになるものもあります。

多少なりとも何かのお役に立つことが出来るような文章が書けるよう、頑張っていきたいと念願しています。

遺偈(ゆいげ)