樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

コップ1杯の水

1年間程お世話になった山梨のお寺では、冬の間、水道管が凍りついてしまうために、水は大切に、大切に使わせて頂きました。

あらかじめポリタンクに溜めておいた水は使いやすいようにヤカンに移し、必要な分量だけを少しずつ使います。

大きなポリタンクでしたが、それを使い果たすと深い雪の中を取水の出来る谷川まで下りて行かねばなりません。

そのようなこともあり、まずは水の倹約が先になります。

そこで朝の歯磨きや洗顔は、コップに注いだ1杯の水で済ませます。

コップ半分くらいの水で歯を磨いたら、残りの水を2、3回に分けて手のひらに取り、手早く顔を洗います。

また料理の際に、野菜を湯がくときのお湯を一々取り換えずに再利用したり、最後に残ったお湯も食器を洗う時のために残しておきます。

フライパンやお皿の油汚れはキッチンペーパーなどであらかじめ拭っておくと、ほとんど洗わずに済みます。

また、お風呂の湯船は相当贅沢なことになりますので、多くて週に1度、それも同じ水を幾度か沸かし直して入りますが、それで十分なことでした。

さて、このような私の貴重な経験は、現在の妙性寺の生活においても非常に役に立っています。

お寺では、冬になると毎年のように水道管が破裂するものですから、夜のうちに水道の元栓を閉めてしまい、ヤカンに溜めた水で朝の生活をこなします。

コップ1杯の水が、やはり貴重品です。

「人は、一生のうちに使う水を背負って生まれてくる」という先人の戒めを聞いたことがあります。

貴重な水をむやみに使うと自分の寿命を縮める、ということであります。

今はそういうことを言う方が少なくなったような気がしますが、私はいつの世も、そういうことこそ大切なのではないかと思えてなりません。

コップ1杯の水