樸堂コトノハ

− 等身大の佛教 −

価値観の足跡(あしあと)

大相撲春場所で稀勢の里が劇的な逆転優勝を飾ってから、早くも1週間が過ぎました。

翌日の新聞1面には、表彰式で涙を流す横綱の姿がありました。

全勝で迎えた13日目の日馬富士戦で敗れ、左肩を負傷した稀勢の里が、翌日の鶴竜戦であっけなく敗れた時には、恐らく日本中の誰もがこの千秋楽の奇跡とも言える結果を想像できなかったと思います。

新聞記事によると、稀勢の里自身も「何か見えない力を感じた場所だった」と述懐しています。

14日目に負傷を押して出場した稀勢の里には、過去に横綱貴乃花が負傷を押して出場し、優勝は果たしたものの結局相撲人生を縮めてしまったことからも、周囲からは「休場すべきだ」という声が多かったように思います。

しかし、貴乃花の時もそうでしたが、今回の稀勢の里の優勝には、多くの人が心を揺さぶられたのではないかと思います。

…私たちは、生まれてから、それぞれの人生を、それぞれの因縁によって歩み続けています。

過去に自分の出会ったその時その時の記憶が、価値観の足跡(あしあと)となって無数に心と体に刻み込まれていきます。

そして、それらの足跡が以後の人生に大きく影響を与えながら次第に自分という枠を作り上げ、その価値観の中で生きていくようになるのではないかと思います。

しかしそんな中にあっても、時としてこれまでの自分の人生からは想像も出来ないような人の価値観を見せつけられたとき、非常に心が揺さぶられて、思わず自分の足跡を振り返ります。

稀勢の里は、負ければ何と言われるか分からないような崖っぷちの状況の中で、とにかく最後まで力を出したいと願って出場したというコメントも残しています。

周囲の声は声として、自分の気持ちに真っ正直に、自分の足元の、今という瞬間に命を燃やし尽くさんとしたその姿に、私は感動し、尊いものを感じたのでありました。

価値観の足跡(あしあと)